田中久重。東芝未来科学館に行って来ました。続き

田中久重。東芝未来科学館に行って来ました。
の続きです。

京都まで。万年時計まででしたね

3年かけてほぼ一人だけで万年時計をつくり、完成したのが52歳

人生全ての集大成!
って感じしますでしょ

これで、人生半分なんですよ
どんな人

こわいっ

佐賀へ
京都の蘭学の塾、時習堂で出会った、佐野常民に誘われます。

佐賀に来ない?

行く行く!

出ました、佐賀
「蘭癖大名」鍋島直正のあの佐賀藩です
これはベストマッチングです

あれもこれも何でもやっていいからね

まずは、長崎の海軍伝習生として長崎に行かせてもらえます。
出ました
勝海舟や榎本武揚のあの有名な長崎海軍伝習所です。

若い志士たちが学んだという印象が強いんですが
田中久重が行っていたとは知りませんでした。
大興奮です。

おじいちゃんの田中久重が一番優等生だったというんですから立派!

鍋島直正が一番作って欲しいのは黒船です。

実は、もう、蒸気船のおもちゃみたいなのはもう作っちゃっています。
何とペリー来航の前の年。

えっ、本物のしかもどでかいやつが来たんですって?!

よっしゃー、やったるでー

実用的蒸気船、日本初の凌風丸(りょうふうまる)完成!

この時期、諸藩で同時並行的に黒船自主製作の動きがあります。
水戸藩、薩摩藩、宇和島藩
宇和島藩については、過去に書きましたね
例えばちょうちん屋が黒船を作っちゃった

どの藩も日本初と主張していますが
実用的という修飾語をつけると、確かに佐賀藩が日本初なのかも知れませんね
田中久重ならば、実用的であることにこだわって作ったと思います。

いやあ、佐賀藩で黒船作ったのは知っていましたが、まさかそれが田中久重だったとは。

今まで、何を作るにも一人だけで作ってきましたが
さすがに、黒船とまでなると一人じゃ無理。
そのための鍋島直正の全藩あげてのバックアップです。

みんなで一つの目標に向かって心を一つにして仕事をする
60歳超えて、初の経験。
楽しかったんじゃないかな
佐賀藩に行って良かったね

それを見たお隣の藩、久留米藩
ちょっとちょっと、田中久重は久留米の人よ
返して

今ごろ、それ言いますか。

もちろん、鍋島直正のこと
あっさり引き渡すわけないと思ったら
いやあ、鍋島直正、度量が広いじゃないですか

田中久重はみんなのもの
じゃあ、兼務ということで。

佐賀藩と、久留米藩の両方に席をおき
両方の仕事

久留米藩の方では、大砲を作ったりもしています。

さあ、明治になりました。
文明開花です。

70歳になった久重もウキウキです。

またまたお声がかかります。
ウィーン万博というのがあるんだけど
万年時計を出展しませんか
まずは東京に来ていただいて

行く行く!

江戸へ
いよいよ私にもチャンスが巡ってきたぞ
人生これからだ!

東京に移住します。
明治6年(1873年)

そして、この頃
海の向こうのアメリカでは、あの人が

1868年(明治元年)に初の特許、電気投票記録機を開発した
トーマスエジソン

蓄音機は1877年、白熱電球は1878年

田中久重はその前の1874年に電信機というのを開発しています。
東京に移住しての翌年です。

送信機で針を「ア」とかに合わせて、送信ってやると、
離れたところの受信機の針が「ア」にピタッ

さらにその翌年の、1875年
銀座に事務所兼工場を構えます。
出した看板が
「萬般の機械考案の依頼に応ず」

さあ何でも来いっ
田中製作所

これが、東芝の始まりでもあります。
久重76歳です。

翌1876年 明治9年
グラハムベルが電話機の特許を取る
エジソンも電話機は開発しているんですが
特許はグラハムベルの方が早かった

そのあと、その電話機が日本にも入ってきます。

すると、すぐにポンポンっと2台、
電話機を作っちゃいます。

こんな感じでよろしかったでしょうか

それ以外にも田中製作所は
製氷機、ネジ切りゲージ、自転車、精米機、写真機、昇水機、改良かまど、
旋盤楕円削り機、煙草切機、醤油搾取機械、種油搾取機、報時機など

♪みんな みんな東芝
東芝のマーク!

1881年、明治14年
82歳で、その生涯を終えました。

養子に入った息子が二代目 田中久重を名乗ります。
翌年、芝浦に巨大な工場を設立、後に芝浦製作所と名を変え
東京電気と合併して、東芝になるのです。

50 60で歳とったなんて言っちゃダメですね
田中久重からすると、ほんの鼻たれ小僧です。
先生、おしっこ です。

東芝未来科学館
東芝未来科学館の中で、田中久重は、ここまで充実していながらも
ほんの一角の、創業者紹介ゾーンのさらに半分
残りの半分が、東京電気の方の藤岡市助

こちらもまあ、エキサイティングなんですが
今回はバサッと割愛させてください。

そして、残りが、これまた大盛況
子供たちであふれかえっておりました。
体験型のゲームで体を動かしながら、楽しく科学が学べる。

川崎市の子供たちは、間違いなく一度は訪れているでしょう。

さあ、明日は、後回しにしておりました、万年時計をじっくりと行きますね

索引はこちら
[江戸の理系力]シリーズはこちら(少し下げてね)

田中久重。東芝未来科学館に行って来ました。続き」への2件のフィードバック

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  2. ピンバック: また、文明開化を歩く | でーこんのあちこちコラム

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